2011年12月31日土曜日

大晦日

今年も愈々大晦日、家族のお祝い事もあったが、自分自身としては不如意で納得がいかない難しい年になった。
最早来年に期するしかない、正月から気分一新でとにかく能動的に行くぞ!

東日本大震災で災難に遭われた方々の事を思えば、己の無力が腹立たしい。こんな時はもっと役に立つ人間でなければと思いつつ歯噛みする日々。
結果的にTVやネットを見ている時間が多い年だったのだが、政治から社会全般、見たくない聞きたくない事が多すぎる。実際は見てられない聞いてられないと言った方が正確かもしれない。冗談じゃないよ!と何度叫んだことか、もう嘆いてられないから行動することを真剣に考えている。

「禍福は糾える縄の如し」、「人間万事塞翁が馬」、等と言ってられないよ。兎に角何とかしなければ始まらない、この大晦日を静かにして新年を迎えるつもりだが、毎年と違って来年への思いは格別となった。

大晦日 熱き思いを 新年へ

大晦日 気ばかり焦る 今夜かな

全く稚拙な句ばかりだ、今年のケジメなのに。

2011年12月26日月曜日

今日の公園の橙の樹


例の蜜柑?実は橙










先日の蜜柑の話だけど、実は橙(だいだい)で夏ミカンでも八朔でもなく、食するのは無理らしい。正月の鏡餅の上に載せてお飾りとする位の物だ。だいだいが先祖代々の繁栄に通じるらしい。柚子の可能性も若干あったが、樹をあらためて調べてみたが橙としか考えられない。冬至の柚子の事を調べている内に判明したのだが、味を見るなんてことは本より無理な話で、己の不明を恥じるばかりだ。笑.....道理で皆ほったらかしだった。8㎝余りもあるこの橙は家の小さい鏡餅にはとても使えそうもない。
お蔭様で今回不案内だった柑橘類について多少勉強した。だいたい私は花や樹木、植物系は不得手で、若い頃からあまり関心を払うこともしてなかった。近頃、自然や草木が気になり、動物だけでなく、植物の四季の変化や命のうつろいを、殊更感じるようになって、何かと不自由している。
句を作る時も、花や木に様々な感動を覚えても、ほとんどその名も判らず苦労する。
昔、北海道の家の庭に生えていた草木くらいは覚えているが僅かで、本州以南のものは未だに不得意で、簡単な名前の木でさえ聞くも恥ずかしい。
そういえば、家の裏に私が小学生の頃植えた桜の樹、どうなったかなあ..........、まだ在れば相当大きな樹になっている筈だが。逢いに行ってみたいのだが、仲々想う様に行かないのは自の不徳だ。

橙に 故郷の桜 想いけり

2011年12月22日木曜日

冬至


蜜柑の樹から一個

今日は早めの5時半頃だが、目覚め好く、朝のトイレも快調(笑)で、俄然やる気になり、朝のラジオ体操からウォーキング・ストレッチと、久し振りに元気なスタート。
ついでに?例の蜜柑の樹から一個失敬する。下の方のはいつの間にか無くなっており(多分取りやすいところから皆失敬しているのだと思うが、)すっかり色ずいているので、そろそろ試してみたいと思っていた。

直径8㎝余りで夏蜜柑か八朔か何かよく判らないが、当分かざっておいて、その内味を確かめてみようと思う。
渋柿ではないがとても食べられる物ではないのかも知れないが、なんとなく楽しみ。
今日は冬至で、公園もラジオ体操が始まる頃はまだ薄暗い。身体を動かすうちに明けてきたが、曇りで陽もなくどんよりした朝。冬至の日の天気は、過去50年くらいのデータで、晴れの日が2日しかないと予報の森田さんが言っていたが、今日はどうだろうか。晴れてきそうな気もするが、相変わらず寒いのは同じ。帰りにスーパーで南瓜を買う、早朝で昨日の値段、10時から若干高くなる。煮て食べるのちょっと面倒だけど、冬至の今日位は食べてみよう。

まだ明けぬ 朝の散歩で 南瓜買い

2011年12月17日土曜日

持つべきものは

持つべきものはと言われて「友」と言うのが世の常だが、昨今の世のうつろいを見ると、それは「家族」と言うべきか。
人は家族を持って当たり前の時代はともかく、最近は家族を持たない「シングル何とか」が増えてきている様子、また家族に生まれても家庭から離れて「独り」を好み、個人世界の中にどっぷりとつかり、他人との関りを極端に嫌う人々も多くなっているそうだ。
何故だろうかと言うことは後のことにして。
人は一人では生きられない!人は人をあてにし人にあてにされることで生きる!人との関りを完全に無くすことなど出来やしない!
時に「絆」が今年は不幸な年だっただけに叫ばれ、「家族」の大切さが人々の心に刻まれた。
孤独を求めることも時に有りかも知れないが、所詮は人間生きているうちは、家族との関係を無にしては生きられない。好しにつけ悪しきにつけ人は家族の中から生まれ生きて行くのだから、それを捨てることも離れることも不可。彼の世があるなら其処までも離れられないかも知れない。
もし願わずも「シングル」とか「独り者」の境遇になったとしても、家族のような友達は求められる。
頑なになっては辛いだけだ、兎も角「家族を」持ちなさい「家族」を大切にしなさいと言うのは、ありふれているかも知れないが当然の事。それをあえて言葉にする必要がある最近の世情が寂しい。

普段、孤独な自分だが、たまさか娘の電話で嬉しい思いをしたばかりにこんなことを書きました。大きなお世話だと言われそうですがご容赦を.........。
目黒川沿いの公園の生垣に潜り込んでいる雀たち数十羽、写り悪いが、
寒い中群れで休憩中か、さもなければ外敵から避難しているのかも、きっと彼等も一羽では生きて行けないのかな。そっと覗いてみたがなんとも可愛い。

生垣の 群れる小雀 人知れず

2011年12月16日金曜日

冬晴れ

銀杏の葉の黄色に空の青さ
冬晴れの空の青さは格別だ、雲もなくどこまでも透き通っている、こんな日は寒いのだが日差しがあれば昼間は凌げる。
散歩にもってこいの日和に心も和む、蜜柑もそろそろの橙色、保育園児のお散歩も微笑ましく嬉しい。
例の蜜柑の樹随分色ずいた
園児のお昼のお散歩
こんなに平和なんだが、政治経済は情けなくなるほどだ。全てを求めるのは所詮無理な事とは思いつつも追求したいのは人情だけにしょうがない。
偉大な指導者や時代の変革者を期待しても駄目。
諦め切れないが、それではこれからの世代が可哀そうに思う。
何とかならないものかと思うが、自分のことも満足でない私が嘆いてもしょうがないのが悔しい。

冬晴れに 園児の散歩 にこやかに

冬晴れに 園児の明日を 想いけり 

2011年12月11日日曜日

11日14時46分

東日本大地震から9か月経った、14時46分にニュースを丁度見ていて、現地の人達と共に一分間の黙とう。日本人にはきっと忘れられない、11日14時46分となったようだ。気が付けば皆黙祷するだろう。亡くなった人々への哀悼もあるが、被災して不自由している現地仮設住宅の人達や原発から避難している人達への思いもある。少しでも早く何とかしなくちゃあと嘆くばかりだが、兎に角も皆決して忘れないことが肝心だ。マスメディアの扱いは少なくなっているが、痛みを共に分かち合いつつ明日の希望を創ること、これは皆の義務と言ってもいいかも。

ただこう能書きを言ってるようで、実際には大したことの出来ない自分に嫌悪するのも現実です。

寒風に 仮設住まいを 想いけり

他人のことを考える余裕もない今の自分なのだが、せめて我に返って思うだけです。体調今一つで年の暮れに向かって何とも複雑な気分の日々です。頑張らなければ!頑張れる筈だ!
北海道からジンギスカン届く、頑張るぞう!??

2011年12月4日日曜日

晴天!


イチョウ並木もやっと黄色に
今日は久し振りに公園で体操ストレッチ、空青く空気爽やかな日曜日となったお蔭で元気溌剌。
気温もそれほど寒くない、この季節では暖かい方かも、午後も出かけて行ったが小さい子供も多く楽しい日曜日を家族で過ごす様見ていても嬉し。
雲一つ無い青空は透明で、月さえ見える程。紅葉もこれが晩秋といった趣なのだが最早12月東京の季節感は大分違う。昨日の寒さは冬のものだったが、一日で気温が10度以上違うんだからややこしい限り。
春とは違い寒暖繰り返しつつ寒くなって行くんだから体調の維持は難しいし気を使う。若い時は一々そんなこと考えなかったのに、歳を取るということは情けないものだ。
球戯場の欅も枯葉
十二月 空の青さよ 紅葉よ

枯葉散る 木々の向こうの 空青く

枯葉散る 新たな息吹 想いつつ

ストレッチやウォーキングは楽しく、句も幾らでも浮かぶのだが、身体の自立調整機能の衰えだけは否めないのが悔しい。精々歩き回ってストレッチして頑張んなくちゃあ。やりたいことは幾らでもあるのだから沈んではいられない、今更ではないがプラス思考で行かなければ!なんてね。
もみじは少ないが色はやはり一番

2011年12月3日土曜日

雨降り

今日こそ朝の体操ストレッチで気合を入れて行こうと思っていたのに、地震で飛び起きたら外は雨降り、6時頃だから丁度起きる時間だったが、公園は止めにしてとりあえず重装備で次の振動にしばらく備える。
野良猫トラに餌をやりながら天気を見るが、冷たい雨が降るばかりなり。しょうがないなあと思いつつ、もう寝ることは止そうと朝食を摂り。昨日よりは若干気温が上がるようだが、それでも寒い雨降りの午前だ。「...隣は何をする人ぞ」って感じ、もう冬に入ってるけど。
ご承知の通り小生、雨が嫌いな方ではないのだが、寒い雨降りはさすがに好かないね。気持ちが暗くなるばかりだもの。風情と言うにはあまりにも寒すぎる、いっそこれが雪であれば、ずっと違って白銀の世界となり気分も高揚したりするのだが......。
冬の雨降りはいけないね、冬は雪降りでなくっちゃあと北国生まれの勝手な野郎の小生だが、雪だとまた交通に支障が出て、風情などと言ってられないかもしれない。

冬の雨 寒さばかりに 風情なく

ひとりきく 蕭蕭と 時雨降る

2011年12月2日金曜日

冬到来

寒いのなんのってまったく、急に6度だ7度だ(昼間だよ)等と言われても、覚悟は今一つ出来てないだけにだらしない。今頃暖房器を引っ張り出すが、情けないほど効き目なく節電に協調するばかりなり。それではとあんかを入れた蒲団に包まってきりが無い自分、本当に情けない。それにしてもだけど冬の蒲団の中は極楽々々!春眠暁を何とかと言うよりも、
あんか入れ 温か蒲団 出るを得ず
気の冷えを 顔に感じも 足温し
てな感じでだらしのない句をもっぱらひねる。罰が当たりそうな昨日今日です。
もう師走になり何とか現状を打破しなくてはならない時にも拘らずのこの体たらくには、暗澹たる気持ちが胸を過る。
独りで年寄りが一日TVを眺めている、独りで若者が一日PCを眺めている、外に出ることなく人に会うことなく黙々と過ごす一日、何かからの逃避かもしれない。蒲団に包まっている吾輩も同じ様なもんだと反省しきりとなってくる。
明日は朝の体操いくぞ!絶対いくぞ!
ちょっとは明日温度上がりそうだって!?・・!!