2016年12月29日木曜日

風邪

此の一週間風邪を引いてしまい、前半寝込み後半は体調回復したが抜けぬしつこい咳に悩まされている。

元より油断したつもりはないのだが、一寸先は闇でいつ何時魔が差すか分からない、一夜にして体調が変わる。
寒い思いをしたわけでも汗を掻いたわけでもなく、急に鼻水が酷くなったり咳が出始めたり、倦怠感に熱を測ると27℃を超えている。

拗らすことは避けたいので医者へ早速に行くが、早めの治療も2,3日は寝込むことになる。
一週間経って大体は回復したが、元々気管支が弱いのか喘息気味が残る。
普段から常用薬の所為か喘息の咳が出易いのだが同じ様な症状だ。

それでも、体力が戻ったので安心して昨日は出歩いたが、時折人前で咳が出ると極端に嫌われるので気を使わざるを得ない。
マスクをしていても隣で咳込まれると、時期が時期だけに誰しもぞっとするだろう。
元気で新年を迎えたいのは誰しもだから。

正月の準備は、買い物はもう済んで、今日は部屋の片付けと掃除、門松や花飾り鏡餅お供えと、出歩く必要は無くなく部屋で過ごすばかり。
外は寒いし用心して暖かく過ごそう。


2016年12月22日木曜日

冬至過ぎ

昨日が冬至で、その内徐々に昼間が長くなってくるだろう。
暗くなって行くのと明るくなって行くのとは雲泥で、気持ちが想っただけでも前向きになる。

今朝から晴れて好い天気なのだが、予報はそうではない、今夜は暴風雨になる様な事を言っていた。
実際に世田谷区の地域予報を視ると、曇りで夜半若干の雨程度だ。
前日の全国予報の関東地方や東京都の予報では、毎度の事だが世田谷の天気は解らない。
関東は湾岸の横浜から山岳部の群馬では全く天気が違う、東京も奥多摩から湾岸23区ではかなり異なる。

ネットで天気を細かく地域毎に確認出来る様に成ったが、関東や東京地方などで予報を聞いていた頃は、実体の違いに辟易したものだ。
大体に天気は一番厳しい予報を出してくるが、山の方は当然雪や雨が降りやすく、都心部は暖かく晴れやすいので、一括りにされると東京は雨とか雪とか言っても、其れは八王子や奥多摩の方の事で、実際の都心部は晴れか曇りだったりする。

東京都をせめて23区、多摩区、奥多摩と常に三つ位に分けて予報して欲しい、対象になる人口は1千万を超えているのだから、そのくらい配慮しても良いのではと思う。

予報の話が長くなったが本題に戻そう。

暮れも押し迫ってきている、3日前昨日と忘年会参加も続いてさすがに肝臓疲労を感じているが、正月を迎える準備は餅と飾りを買ったので何時でも大丈夫だ。
尤も大した準備では無いのだが。笑

それでも今日はオフなので、カレンダーや鏡餅、暮れの支払いとか何かと支度に勤しもうと思う。
金銭的不安さえなければ(借金に追われる時代もあった!)笑、年の暮れは忙しくても楽しいもの、様々な風物詩を感じながら街を歩き回るのも好いものだ。

一抹の寂しさも感傷も新年になれば勝手に晴れる、しみじみと味合うのも悪くない、年に一度の反省があっても良い。

気温が19℃になると言う今日、来年に備えて街を走り回ろう。


2016年12月15日木曜日

ボロ市

冬晴れの空を見上げながら透明な空気を大きく吸い、その冷たさに師走を感じる。
朝6℃で明け、日中も10℃未満と言うが、マフラーして防寒コートを着さえすれば、出掛けるに如くはない天気。

今日は仕事オフだが、此の15、16日は師走の「世田谷ボロ市」が行われる、正月のボロ市はあまり出掛けないが、暮れのボロ市は大抵出掛ける。
年の暮れを感じるボロ市を歩きながら、往きは甘酒帰りは豚汁を飲むのが寒い中の楽しみだ。

買い物はあまりしない方だが、見るだけでも面白く、一軒一軒欠かさず見て回る。
冷やかしの客でも賑わいの一部で、満員の通りを他人にぶつからない様肩をすぼめ、目だけきょろきょろしつつ人混みに流されるのも悪くない。

「嗚呼!今年も終わりだなあ!」唯それだけの感慨しか浮かばないが、年の瀬をしみじみ味合うのが好いのだ。

当に今年もあと半月、明日明後日と仕事だが来週は月水と忘年会が二度有り、そしてクリスマスと、あっと言う間に過ぎるだろう。

毎年の事だが月日の経つのが速いと、また今年も想いけり。笑


2016年12月12日月曜日

我慢が肝心

一層寒くなって来た、仕事に通うにもしっかり防寒を着込み、早番なら行きを遅番なら帰りを基準にしている。
自転車でたった10分程だが油断禁物で、風邪など引かぬ様心掛けているつもりだ。

職場は現役を引退した年寄りばかりなので、常に寒い暑いが当日の話題になる。
気温について言う分には良いのだが、体感を言うのは個人差があるし、各自の防寒対策で違いが出る。
矢鱈に「寒い寒い」を連発する人は薄着で対策が甘い人が多い、しっかり着込んでいる人は気温の低さを言っても「寒くて堪らん」とは言わない。

概して老人世界はこんなもので、幾つに成っても個人差は止まることは無い。
ましてや経験値、能力差もまちまちなので、年齢だけで括られた職場は業務処理能力において個人差が激しい。
但し、能力による上下関係や担当配置に成らず皆平等な職場なので、仕事が遅い人も覚えが悪い人もやる気の薄い人も一緒くたで、業務の全体を時間で熟している。

それ故仕事を覚えて何でもスムーズに熟せる様に成ると、時としてやる気の無い同僚の態度に不満を生じることもある。
年寄りは手抜きを覚えている、最早人生を賭ける仕事でも何でもない、狡賢くしても誰も無関心だと踏んで楽をすることを考える。

「そうは行かない」と其れなりに真剣に仕事を熟したいと思う者には、狡猾な老人は腹立たしい。
こんな楽な業務をこれ以上楽に行うとは考えられないから、同僚に甘えてサボりがちの人には思わず一言言いたくなってくる。
それでも其れを口に出すと、職場の環境は難しいものになる、支障さえなければそれで良しとする老人集団なので、まあまあ兎に角穏やかに大人の判断でと謂う事が優先されるからだ。

責任の無い気楽な老人の職場、一見そうでも実はそれなりの葛藤がある。
言い出したら年寄りばかりで限の無い事になる故、各自夫々に想いは有っても、我慢し辛抱が必要と心得て、何とか過ごしている。
其れが老人らしさと謂えなくもないが、想うに老人社会に拘わらず、所詮職場とか社会とかはそんなものだろう。

幾つに成っても我慢だし辛抱だわいww。

2016年12月10日土曜日

12月10日快晴

旧暦の大雪を過ぎて快晴の好天が続いている、気温が下がり風が有っても青空だと気分が良い。
乾燥するのでインフルエンザが流行ったり、ノロウイルスが伝染してると聞くが、日頃から予防を心掛けておけば安心だろう。
体調を維持して免疫力を失わないことが肝心だと思う。

もうすぐ午後の仕事が待っているが、今日は土曜で寒いので暇だろう。笑
行き帰りの自転車通勤で防寒だけは気を付けている、決して寒い思いをしない様隙間無く着込んで出掛ける。
冬場の冷えは万病の下だ、寒暖差をまめに着たり脱いだりで調節している。

元来滅多に風邪を引いたり、インフルエンザに罹ったりしない方だ、精々持病の鼻炎やむせる咳が季節に関係なく出てくる程度。
年に一度くらいは熱を出したりすることがあるが、直ぐたっぷり睡眠をとって長引かない様にしている。

尤も昨日通ったが、二か月に一ぺんは循環器科に行くので、その都度具合を主治医に相談出来るのも重症化しない原因だ。

仕事も体調も生活も無難に過ごして何よりだが、此の頃創作意欲に欠けるのが残念だ。
ボーとして集中力の欠如の儘だらだらと暮しているだけ、元々の資質の所為かも知れないが時間だけが無為に過ぎていく。

せめて一日一句くらいは生み出さないとと思うが、それすら忘れて居眠りしている毎日になっている。
義務や規則で創作してもつまらないが、野放図に生きているのもつまらない、もっともっと感性を磨かねばならない。

もっと意欲を持たなければならない、未だ人生は長そうだから、、、、笑

2016年12月4日日曜日

増毛から

Bloggerのスタート画面が変わってしまった儘、何をやっても元に戻らず諦めてしまっている。
前に戻るの←がスタートから表示されるが、クリックしても反応無く、今は「全ての投稿」画面から始まる。
慣れてないので不快だが、如何とも出来ず現状に合わせて行くしかない。

斯く言う間に師走となり、今年も何気なく慌ただしくなってきた。
日頃からのんびりと過ごしているつもりの自分だが、12月ともなるとさすがにケリを着けておかなければならない事も有る。
更には忘年会なぞ誘われたり、年の瀬の風物詩的行事にも出掛けたりで、何気にスケジュールに追われる様になる。

それでも忙しい等とは言うに烏滸がましいが、ここで区切りが有って次が迫って来ると言う感触は人並みに感ずる。
復、其れを愉しむところも有るが、年の暮れは往々にして日によって憂鬱になることも有りで、一概では無い。
先ずは粗相の無い様過ごそう。

此の処マスメディアでJR北海道の留萌線、留萌~増毛間が今日12月4日の最終列車で廃線になる事が話題になっている。
其れを聞く度、子供の頃、留萌や増毛の方から運ばれて来る魚を食べて育ったので、他人事でない感慨がある。
海水浴にも行ったし、高倉健さんの映画「駅」の舞台にもなっていて、何度も感激しながら映画を観た。

此の数年来北海道に何回か行って廻る中で、地方の過疎化を身に染みて感じていたが、鉄道や駅が無くなる事は其れに拍車が掛かる事になる。

悔しく想いながらも何も出来ない自分なのだが、今日の19時過ぎの最終列車を町民がペンライトで見送ると聞いた時、思わず目頭が熱くなった!、どんな気持ちで町民たちは見送るのだろうか?!。
「ありがとう」の感謝もあるだろうが、置いて行かれる気持ち、都会との絆を断たれる不安もあるだろう、鉄道は文字通り線路で繋がっているものである、バス便とは全く違う質がそこに在る。

地域で収支を勘定すると、どうしても地方路線は過疎化で赤字になる、特に広い北海道は尚更だ、保線経費が莫大だし寒冷地で雪害等駅舎の維持も大変だ。
今後根室本線等(今は本線ではなくなった様だが)北海道の半分近くの鉄道線が赤字の為廃線になって行くと言う。

国鉄の改革は大賛成だったが、JRになって分割されたのは不本意だった、大都市のJRは黒字になるが、地方路線の北海道や四国そして九州は、経営が厳しくなるのは目に見えていた。
郵便配達制度もそうだが、鉄道も全国ネットで収支を勘定しないと、地方だけでの収支では悪くなって当然だ。

つまり満員の山手線に乗る客の運賃が地方の鉄道維持に生かされなければならない。
利益は都市に集中するが、其れを配分してこそ全国ネットの鉄道網が維持されるのだ。
地方から出て来た人間の集まりでもある大都市の者は、ふるさと納税ではないが故郷に繋がる鉄道の確保に文句は言うまい。

グダグダ言っても、増毛への列車はあと何時間で終わる、現実は厳しいが受け入れるしかない、「畜生!馬鹿野郎!」と、悔し紛れに自分は叫ぶだけ・・!

其れは故郷の人から自分に向けられる言葉でもある!
何もしてないのだから・・・