2017年6月22日木曜日

情報取得

昨今の情報取得はインターネットが大いに活用される。
情報提供者は様々で、内容も右左、前後ろ、上下と様々であらゆる見方が提供される。
限が無いので、受け手の能力によって判断しなければならないのだが、決して容易な事ではない。

どう判断するかという情報もまた豊富に入るので、其れも個々人の能力に掛かっている。
面倒ならどれか一方に判断を任せてしまう事も出来るが、心ある人間なら自分で悩み考えなければならない。
限り無い情報は個人の判断を難しくするが、それだけ一方的なプロパガンダに簡単に左右されないとも言える。

昭和の時代までは情報と言えばTVラジオと新聞週刊誌で、情報の取捨選択は其の提供者であるマスメディアが握っていた。
つまりマスメディアが情報管理しているようなもので、個人の判断はマスメディアの思惑に乗せられていたものだった。

社会的風潮はマスメディアの演出に左右される事も有った。
世論さえもマスメディアが創り出していた事もある。
人々はニュースと言うものは事実、真実を伝えているものと信じていた。

其れが不幸な戦争にのめり込んで行く原因の一つになった時もある。
当時のマスメディアが国民を煽るプロパガンダ機関に終始した結果だ。

敗戦後マスメディアは反省ばかりで反転に振れ、自虐的な民主主義を標榜しつつ、平和と平等そして自由を主張する様に成った。
マスメディアでは国も政府も権力の象徴で、其れに敵対する反権力、反体制が幅を効かすようになった。

その記事やニュースは当然恣意的なもので、相変わらずプロパガンダに過ぎないものだ。
装いや方向が変わっただけで、一方的なものである事に変わりはない。
革新とか改革とか左翼とかだけが正しく、まるで革命を目指す党機関紙の様なものまで有る。

一時は皆それが正しい流れと感じた時もあったが、平成に入りPCの普及と共に個人が直接インターネットで膨大な情報収集が出来る様に成って来ると、マスメディアのニュースや記事が必ずしも事実や真実を忠実に伝えていない事に気付き始める。

事件事象が、映像の編集や記事の表現で、夫々のマスメディアの思惑を持って伝えられている現実を個人が把握したのだ。
予てからマスメディアを鵜呑みにしてはいけないとの意見は常にあったが、特に映像や画像で示されるとつい信じてしまっていた。

情報が多く成って来ると判断が増々難しく成って来るが、其れだけ個人の自主的判断が優先される様に成ったと言う事だ。
多方面から情報を取得しつつ様々な考えを廻らすことで、少しでも自分に合った正しい判断、結論を求めたいものだ。

早速、明日は都議選の告示が行われる、選挙に関わる事は重要な判断だ、例によってマスメディアが夫々の思惑に満ちた報道を既に行っているが、こういった選挙にもPCを大いに活用して、個人が少しでも多くの判断材料である情報を集め、より良い選択を行うよう期待される。

インターネットは個人を籠絡したが、マスメディアから個人を解放した。


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