2015年3月1日日曜日

上村君の事

川崎市の中学一年生「上村」君が殺害された事件、触れるのが辛い事件だが敢えて書いてみよう。

何故殺害されたか?

直接には親や周囲から甘やかされつつ放ったらかしで育てられ、野放図で意気地無しの落ちこぼれた少年グループによる勝手なリンチ。
年少の後輩が思い通りにならないと弱い者虐めのリンチ、程を知らず理屈無い暴力の為の暴力。

捕まった18才の少年はこう言っていると云う「今は話したくない」と、最初から親が頼んだ弁護士が、どんなアドバイスをしたか知らないが、何様のつもりか反省の欠片も感じられない。
黙秘権等の権利を否定するつもりはない、彼が犯行に関わっていないのなら堂々と主張すればいい、生意気に甘ったれているとしか思えない。

仲間の17才の少年らが種々供述を始めているので、事件の内容は追々明らかになるだろう。

防げなかったのか?

中国地方の小島育ちの上村少年は、島ではとても人気者でしっかりしていたと言う、親の都合で島を離れる事になった彼は都会を知らなかった、仲の良い島の人々しか知らなかった。
川崎に引っ越して来ても小学校時は相変わらず皆に慕われていたらしいが、中学に入り世間が広くなるに付けて、知らずに年長不良グループと交わる様になったと言う。

島育ちは世間知らず、誰とでも親しくなる彼の好さが仇になったかも知れない。
だが彼は直ぐ気が付いた様だ、グループから抜けたい、縁を切りたいと幼いながらも真剣に考えていた。

彼はその人柄と責任感からか、周囲に迷惑を掛けてはいけないと独りで悩んでいた、独りで看護助手をしながら必死で幼い5人の子を育てる母には尚更だった。

母の無関心と非難する人もいるが、息子の心配をしつつも早番遅番夜勤に保育園の送り迎えと、生活に追われる毎日ではとても詳しい相談をする余裕が無かったようだ。
今彼女は断腸の苦しみの中に居る、メディアにも出られない、残った子供の世話は欠かせない、母子家庭の辛さを見る様で辛い。

周囲が防げなかったとは言え、強いて言うならば、ここは学校の対応が肝心だろう、教育委員会は早速「今年になって担任は30回電話し5回訪問をした」と言った、2か月足らずに此の回数は決して少ないものではない。
だが、実際に電話で話をしたのは一、二回、訪問は一度も会っていないと言う?!

会社員ならば、上司から「何回訪問したか電話したかではない、そんな回数なんてどうでもいい!実際に会ったか、話したかなんだ!」と怒鳴られる、更に口の悪い上司は「言い訳の為の仕事をするんじゃない!」、「結果なんだよ結果を出せ!」と、其れこそ自分自身が状況は違えども昔言われたことがある。

担任の先生は最初から言い訳の為に電話したり訪問したりした訳ではないと思うが、もう少し熱心になって欲しかったと思う。
教育委員会だけで担任の先生の直接のコメントが出ないので、軽々には言えないのだが、本当に心配であるなら何んとでも会う方法はあるし(顰蹙を買っても)話すことも出来たと、昔の自分を振り返って思う。

せめて彼に会って追求すれば、彼の状況を知り得、何等かの次の方策を手配する余地が出来たのではないか、言うは易しで申し訳ないが、今回の彼を救えたのは先生達との繋がりでしかないと思う。

今や泥臭い先生は居なくなった、問題を起こさない、問題を上手く避けるを良しとする、そんな時代になってしまったのだろうか。
先生を責めるのは簡単だ、申し訳ないと思うのだが如何しても先生に期待してしまう。

それは自分が昔、様々に先生方のお世話になって、今でも感謝しているからです。

上村君に合掌。

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