2015年3月29日日曜日

花見

早番の仕事を終えて自転車で帰宅途中に寄り道、しもたか大さくら祭りを見物す。
気温は4月陽気だが昼頃から曇りに、それでも桜は時間と共に満開となり人も出て賑やかな花見となった。

日大文理学部前の道の桜並木で下高井戸商店街主催
模擬店も沢山出て
人が出て皆桜を楽しむ
猿回しのアトラクション
太鼓の実演や
フラメンコダンス、フラダンスと様々な舞台も有りww
暖かさに桜はどんどん開花
もう我慢できない、例によって買い食いが始まる!www

豚汁2百円
焼立て餃子3百円

もちろん唐揚げ3百円に生ビール3百5十円も
モカコーヒー百円にウインナーロール5十円
〆のつもりで野点2百円を戴く、つい菓子を先に食べてしまい残りです
とまあ食べる飲むも楽しむ、子供の射的やメダカすくい等眺めながら花見は続く。

満開の桜に子供も元気に
花見は飽きない、どんどん開花して行く
アップするとこうです
本当に桜花は人をわくわくさせるものだ
たっぷりと桜を楽しんで帰宅へ。

昼間のビールで気勢が上がって商店街で酒の摘みの買い出し、そして只今晩酌をしながらブログ更新となりましたwww!

今日で今年度の仕事も終わり明日明後日は連休に、マッさんのウイスキーで独り打ち上げだぁー!

2015年3月27日金曜日

パーテイー

今週は活発な毎日を送っている、よく歩き廻っているし、仕事だけでなく健診や髪のカットに行ったり、部屋の片付けをしたり諸々。

昨夜は職場の年度打ち上げと移動の同僚の送別を兼ねたパーテイー。
この幹事を仰せつかったものだから、会場設定から当日の進行役迄大忙し。
二人で引き受けているのだが、何せ一方は大先輩のサッカー日本代表でメキシコ五輪メダリストのYさん、親しいYさんにはこの際幹事長で開会の辞をお願いし、諸事段取りは自分がやる事になったからだ。

まあ何とか大過なく終わってホッとしているが、こき使われた所為で疲れが残った。
老人共の会は夫々一家言有って、子供の様な我儘も出る故。ww

今回は希望が多いので中国料理店で行ったが、少ない予算では飲み放題とは行かず、店主の許可で焼酎やワインの持ち込みで補おうとしたが、生ビールのお代わり要求が多すぎて当方脂汗、途中から瓶ビールに替えてもらった。
紹興酒二本も直ぐに空にされ、明日は勤務が有るから飲めない等と言っていた面々だったのだが、料理のお蔭かピッチが速いのなんの。

勝手な事を言いながらがつがつ食べ、がつがつ飲む元気な爺共に辟易した。ww
二度続いた幹事役なので次回からは御免蒙るつもりだ。
自分は他人の我儘を受け止める度量が足りないと思っているので余計にそう思う。ww

月末迄忙しく過ごす事になりそうだが、好いことに此の処何時の間にか体重が2kg程減った様だ。
やはり体を動かしているのが良いのだろう。

天気は快晴で日中20℃を超える気温になると云う、午後から仕事だが果たして皆の満足した顔が見たいものだ。




2015年3月25日水曜日

区の特定健診

退職して以来受けていなかった健康診断、持病で定期通院しているので無用と思っていたが、がん検診などの不足を感じて今日やっと受けてきた。
負担安く、大腸がん等の心配が解消されれば好都合だが、結果が出るまでは気になってしょうがなくなるww。

ホームドクターの所だったので、序でに昨日からまた始まりかけている鼻水対策の抗アレルギー薬が無くなりそうなので処方してもらう。
花粉症は油断出来ない、治ったと思っても一寸強い風でも吹けば直ぐぶり返す、薬は欠かせない。

肝心の胃がん検査が抜けているが来年度にする、改めて予約せねばならないのが億劫で、今回の結果が出てから考える。
何事も先行して予約が必要で、尚且つ予約すればその日程が気になってしまうが、物臭怠惰な自分には苦痛な事だ。
勝手な事だと自覚しているのだが、、。

誰しも自分を縛るのも縛られるのも嫌なものだが、その嫌悪が強すぎる自分、幼稚とも思えるが多分生涯変わらないだろう。

此れでも生きて往く上で本人は随分我慢しているつもりなのだがwww.


松下村塾と墓所

昨日に続き吉田松陰関連の画像です。
神社境内にある再現された松下村塾と神社に隣接する彼の墓所の紹介です。

松下村塾、左側に松陰の像
原寸大で再現されている
案内板
講義室、高杉晋作や久坂玄瑞や伊藤博文等面々が屯していた


左に回ってみる
そこに吉田寅之助が座っている様な

奥の通用口、看板が目立つが松陰の字は柔らかい
維新の人材を多数輩出した

「花燃ゆ」の妹ふみがたすき掛けで出て来そう
「花燃ゆ」のポスターが各所に

次は吉田寅次郎矩方~松陰の墓所へ

この鳥居は木戸孝允(桂小五郎)が建てたと言う
頼三樹三郎等弟子達や関係者の墓が共にある
高杉晋作等が千住回向院よりこの地(藩主の抱屋敷が在った)に亡骸を改装した
後に奉納された
後に徳川家も随分気を使っている
帰りに境内で、こんな御守り前は無かったが、松陰も可笑しいだろうww
入り口外観
世田谷線松陰神社前駅、神社通り商店街も結構活気が有る

さて次回は安政の大獄の張本人、日本を開国して暗殺された大老「井伊直弼」が眠る井伊家菩提寺、招き猫で有名な「豪徳寺」の井伊直弼墓所を紹介しよう。ww
歩いて20分位の近所に在るのが不思議と云えば不思議ww。

後世の人間は歴史の正反両面を見る必要がある。

2015年3月24日火曜日

松陰神社

昨日区役所まで行ったので、近くにあるNHK[花燃ゆ」で話題の吉田松陰を祀る松陰神社を久し振りに散歩した。

現地を画像で紹介します。

今では立派な神社になっている


詳しい解説が
境内は広い
座像も新たに
本殿
神体の鏡には参拝者が正対で写される、珍しい配置で写真を撮る自分が鏡に映っている
境内に松下村塾が再現されている
この後は次回紹介にさせて頂きます、此れから仕事に出ますので、、。

2015年3月22日日曜日

お墓参り

早番の仕事を終えて帰宅後、昼食も摂らずに湘南の菩提寺にお墓参りに出た。
天気が良いので散歩気分の出発だった、生憎娘達は夫々に都合が悪く(打合せ不足もある)独りでのお参り行だったが、却って気楽な気分。

電車で1時間半ほどで最寄りの駅に着き、タクシーで820円のお寺の墓地。
駅前の毎度寄る花屋で買った花束を左右の筒に挿し、墓石の周りの雑草を取り除き、お線香の束に点火、それを供えて合掌し自己流「般若心経」を唱える。
「皆さんありがとう、これからも宜しく!」
其れで無事終了だ。

帰りに住職に挨拶して若干のゴミを境内に置き去る事の許しを請う、電車なので待ち帰り様が無い為で、車の時は僅かでも必ず持ち帰るのだが。
ご無沙汰している所為か、ゴミの件は二つ返事で如何って事無いが、普段の無沙汰を詫びた言葉には反応が薄かった、丁度出掛けるところだったらしい。
粗同時に車で出掛けて行ったから、他の用が有ったのだろう。

東京に住んでいるので年に数回しか訪れないし会わない自分等である、檀家としての付き合いが少ない、自分の代になって自宅に来て仏壇に経を上げてもらう事も無くなった、護持会費や初穂料を毎年振り込むだけの檀家である分、住職の気分次第で大した関心を持たれないのかも知れないがこれは仕様が無い事だと思う。

自分の代はまだしも、次の代になったら如何なるだろう?もっと疎遠になるだろうと思うが、これは案じても詮無い事だ。
大切な我が家のお墓なのだが未来は分からない、せめて自分が元気な内だけでも大事にしていたいと思うだけだ。

「入るお墓が有って入る処が決まっている」それだけで幸せだとしよう。
帰って来て自宅に入る前に気付いた三日月と星がとても綺麗だった。

お墓参りの後はいつも、何んとか務めを果たした様でホッとするが、それは好いものだ。

2015年3月19日木曜日

彼岸迄

昨日は彼岸の入り、暑さ寒さも何とやらで暖かい季節になって来た。
二日晴れの後、今日は憂鬱な曇り空で明け午後は雨模様だが、暖房はもう必要なく過ごせる。
未だ薄着は禁物だが、上着さえ着て居れば日中はコート無しでも大丈夫だ。

暖かさと処方された花粉症薬の効果覿面に気を良くして、二日間散歩に出歩いたが、今日は身体を癒す日にする。
と言ってもお天気が悪い所為が本当の処なのだがww。

お墓参りに何時行くか思案中、出来れば娘達と同行したいが日程調整が面倒で決めかねている。
御先祖に対する敬意は欠かしたくないのだが、気が揉めることだ。

民間の月探査プロジェクト「HOKUTO」のサポーターメンバーに入っている。
宇宙の事に興味深々だが、何せ門外漢なのでサポーターの一員で夢に参加するのが精一杯。
此の企画に参加しているだけでも随分楽しい、アルプススタンドから応援しているだけの自分ですが、実行スタッフの皆さん頑張って下さい!大いに期待してます。ww

ヒヨドリが椿花を食べている、花粉だけでなく花弁を啄んでいるのは美しい、薄紅の花弁を上向きながら嘴の奥へと運んでいる。
小雨の中濡れて逆立った頭頂の毛がヒヨドリらしい、毎日の様に来るが一羽とは限らない様だ、体格や柄が若干違いが有る。


薄紅の 鵯の口 春椿

春雨も 毛を逆立てて 鵯が

2015年3月17日火曜日

暖かいのなんの

今日は20℃を超えた、早朝シフトで何時もの冬着で出掛けたが、一仕事する間も無く陽が射した途端に身体が汗ばんできた。
一枚脱ごうか如何しようかと思いつつ昼まで続け、終わりは完全に汗を掻いていた、物臭もここまで来たかと思う。笑

晴れて暖かいので急に活動的になり(昨日ホームドクターに花粉症の薬の追加を処方してもらったのが効いた所為もある)、寄り道散歩をする事にした。
マスクをしているので余計に暑く感じる、電車の中の若い人は上着を脱いで半袖姿も見られる。
此方は精々コートの前をはだけるしかなく、涼しくはならないが汗は掻かない程度。

明日明後日と非番が続くので気楽な分何かしたくなる。
結局は適当に電車に乗り、適当に歩き回っただけになったが、陽光を感じながら春の午後を満喫した。

大相撲が終わる前に帰宅し、早速に缶ビールを開けて喉を潤すと、これがまた美味い!暑くなければビールは駄目だなあとしみじみ感じつつ好きな相撲観戦。

酷かった咽るような咳も嘘のように治まり、何となく余裕!

体調が良くなると何かと積極的に成れる、穏やかさが何よりだ。

2015年3月9日月曜日

東京に何時春一番が吹いたか分からない儘、間違いなく春になった。

だが未だ三寒四温の真っ最中で、明日から3日間は寒く、寒波だと言う。
20度近い日もあるが、日長10℃に満たない日もある。
明後日の最低気温は1℃の予報で、東京がこれだから北国や西日本の日本海側は雪になるらしい。
生憎明日から三連チャンのシフトで、早番早番遅番と明日明後日の寒い朝が応えそうだ。

10日ほど前から花粉症の症状が発生も、初期対応の拙さから拗らせてしまい、鼻炎の薬3日ほど飲んで一旦治りかけたと思うも、かえってその後風邪の症状が出て咳や喉の痛みが酷くなった。
漸く此れは大変だと感じて、東松原のホームドクターの所へ久し振りに診察に行く。

今日の休み体調不良で寝不足が続いていたが、未明から今日は朝一番で先生に診てもらおうと決断しつつ出掛けて行った。
やはり医者はありがたい、呼ばれて先生の前に座っただけで気分が良化する、信頼している先生だから余計だが、必ず正しい判断をして良い対処を講じてくれるだろうとホッとする。
風邪の症状が有ったらしい、花粉アレルギーの抗生剤に加えて諸症状の薬を5日分処方してくれた。

安心した序でにずっと受けていなかった区の癌検査等健康診断の予約をお願いした。
区の健康診断は今月が期限なのでタイミングは悪くない、普段は都心の総合病院の循環器科に2ヶ月に一度定期的通院している、体調の変化は其の都度主治医に相談しているので特に心配はないが、大腸がん等の検査はしていないのでこの際受ける事にした。

物臭で区から受診書を送られても予約等が面倒に思い、必要は感じながらも放ったらかしにしていた。
会社を退職してからはチャンスが無くなるので、区の健康診断が唯一になる。
病院通いをしていても、胃がん等のがん検査は受けていないので気にはしていた。
良い切っ掛けとなったが、後は今の諸症状が速く治まるのを期待するだけだ。

季節の変わり目は体調が難しい、特に春はアレルギーが出やすい、平穏に過ごして往くためには健康管理に気を配る必要がある、物臭だからと言ってられない。

春来れば くしゃみ鼻水 花粉飛び

2015年3月1日日曜日

上村君の事

川崎市の中学一年生「上村」君が殺害された事件、触れるのが辛い事件だが敢えて書いてみよう。

何故殺害されたか?

直接には親や周囲から甘やかされつつ放ったらかしで育てられ、野放図で意気地無しの落ちこぼれた少年グループによる勝手なリンチ。
年少の後輩が思い通りにならないと弱い者虐めのリンチ、程を知らず理屈無い暴力の為の暴力。

捕まった18才の少年はこう言っていると云う「今は話したくない」と、最初から親が頼んだ弁護士が、どんなアドバイスをしたか知らないが、何様のつもりか反省の欠片も感じられない。
黙秘権等の権利を否定するつもりはない、彼が犯行に関わっていないのなら堂々と主張すればいい、生意気に甘ったれているとしか思えない。

仲間の17才の少年らが種々供述を始めているので、事件の内容は追々明らかになるだろう。

防げなかったのか?

中国地方の小島育ちの上村少年は、島ではとても人気者でしっかりしていたと言う、親の都合で島を離れる事になった彼は都会を知らなかった、仲の良い島の人々しか知らなかった。
川崎に引っ越して来ても小学校時は相変わらず皆に慕われていたらしいが、中学に入り世間が広くなるに付けて、知らずに年長不良グループと交わる様になったと言う。

島育ちは世間知らず、誰とでも親しくなる彼の好さが仇になったかも知れない。
だが彼は直ぐ気が付いた様だ、グループから抜けたい、縁を切りたいと幼いながらも真剣に考えていた。

彼はその人柄と責任感からか、周囲に迷惑を掛けてはいけないと独りで悩んでいた、独りで看護助手をしながら必死で幼い5人の子を育てる母には尚更だった。

母の無関心と非難する人もいるが、息子の心配をしつつも早番遅番夜勤に保育園の送り迎えと、生活に追われる毎日ではとても詳しい相談をする余裕が無かったようだ。
今彼女は断腸の苦しみの中に居る、メディアにも出られない、残った子供の世話は欠かせない、母子家庭の辛さを見る様で辛い。

周囲が防げなかったとは言え、強いて言うならば、ここは学校の対応が肝心だろう、教育委員会は早速「今年になって担任は30回電話し5回訪問をした」と言った、2か月足らずに此の回数は決して少ないものではない。
だが、実際に電話で話をしたのは一、二回、訪問は一度も会っていないと言う?!

会社員ならば、上司から「何回訪問したか電話したかではない、そんな回数なんてどうでもいい!実際に会ったか、話したかなんだ!」と怒鳴られる、更に口の悪い上司は「言い訳の為の仕事をするんじゃない!」、「結果なんだよ結果を出せ!」と、其れこそ自分自身が状況は違えども昔言われたことがある。

担任の先生は最初から言い訳の為に電話したり訪問したりした訳ではないと思うが、もう少し熱心になって欲しかったと思う。
教育委員会だけで担任の先生の直接のコメントが出ないので、軽々には言えないのだが、本当に心配であるなら何んとでも会う方法はあるし(顰蹙を買っても)話すことも出来たと、昔の自分を振り返って思う。

せめて彼に会って追求すれば、彼の状況を知り得、何等かの次の方策を手配する余地が出来たのではないか、言うは易しで申し訳ないが、今回の彼を救えたのは先生達との繋がりでしかないと思う。

今や泥臭い先生は居なくなった、問題を起こさない、問題を上手く避けるを良しとする、そんな時代になってしまったのだろうか。
先生を責めるのは簡単だ、申し訳ないと思うのだが如何しても先生に期待してしまう。

それは自分が昔、様々に先生方のお世話になって、今でも感謝しているからです。

上村君に合掌。