2017年3月31日金曜日

自問

曇り空を窓越しに見上げ、視線を落とすと隣の庭の桜の木が満開に咲いている。
朝は9℃以上あったが、日中気温上がらず12℃以下の予報で、また寒い日に戻った。

花見シーズンに成ったが、花冷えどころか寒すぎて、今夜から明日は雨か雪の所もあるらしく、とても外での花見は厳しいと思うが、月末の花金だし酒の勢いで花見をにぎやかに行う者もいるだろう。
只々腰痛との葛藤で連日部屋に籠って悶々とする己が情けない。

明日から四月で仕事は新年度となる、サブに指名されて増々責任を持って業務を遂行しなければならなくなった矢先に、体調に異変を来したことは返す返すも残念で悔しい事だ。
未だに職場復帰の目途が立たないので、同僚に掛ける迷惑は計り知れない。

今後一週間すれば病因も明確になり、痛みの目途も付いて来ると思われるが、既に二日の欠勤交代を仲間に強いているので、これ以上の事を想うと無念で歯噛みする。

我に返ると、この痛みが尋常でない事が、大病の表れではないかと言う不安は、一週間先まで続き、痛みと共にストレスも高じてきている。

何故この時期にと想い、日頃の体調管理・体重管理の怠慢が遠因だとは察しが付くが、詳しいことは未だ判らない。
近頃の生活に浮ついた所、不遜な所が無かったか?とつい自問してしまうが、其れも最早詮無い事で、起こってしまってからでは遅すぎる。

今後病が明確になり、回復してからは、生活の根本的な改善が必要になるのは間違いないだろう。
やはり駄目な事は駄目なのだ、自分流の健康管理を反省しなければならない。

2017年3月29日水曜日

痛いのなんの

28年度が終わろうとする時になって、とんでもない事態になった。
一週間ほど前から右の腰から足にかけて、痺れの様な痛みを感じていたが、今週の4連休で安静にしていれば消えると楽観していた。

それが日・月と外に出る事無く、腰に負担を掛けないように専ら横になっていたら、反って悪化してしまい、火曜の28日には右下半身の痛みで立っているのが辛く歩行さえ困難と成ってしまった。

火曜は同僚との飲み会の約束が有ったので、出掛けるつもりで身体を動かしてみて悪化しているのに気付いた。
不思議に自転車に腰掛けて乗る分には可能なのだが、立ち続けること歩き続けることが辛くて出来ない。

此処に至って自体が尋常でない事を知り、いささかパニックになるのだが。
右の痛みは動いた所為かどんどん強くなり、一切をキャンセルして急遽医者に診てもらうことにする。

先ずは近所の整形外科を探し、その日の内にと夕刻だが早速受診。
医師を選ぶ余裕は無かったが、経験は十分ありそうな先生で、決して簡単に治るものでは無さそうだと告げられる。

レントゲンや触診では不十分と、MRI検査の受診を勧められ、区内都立病院でのMRI検査の手配をしてもらう。
MRI検査予約は最短でも一週間先しか取れず、其れまで最終判断は持ち越しだが、当面痛み止めの経口薬と張り薬処方し、尻に痛み止めの注射をしてくれた。

此れで取り敢えず気持ちだけはホッとして、薬で痛みも和らぐと期待したのだが、残念ながらそれ以上の痛みらしく眠れぬ一夜を過ごした。
「何の因果か?!」と悔やみつつ、近頃何か悪い事でもしたかと考えても然したることは無い筈と思うが、酷い痛みに何かの罰を受けた様に感じてしまう。笑

一瞬先は闇だ、次に自分に何が起こるか誰もわからない、今は唯今後の結果が重症で無いよう願うしかない。
医師は座骨神経痛の可能性を言ったが、勿論最終判断では無く、一昔前自分が経験したもっと重症な可能性もあると言う。

今日になって下半身の麻痺など起きてないので、自分の経験的判断では大事にはならないだろうと半ば安堵しているが、右下半身の痛みはやっと薬の効果で半減したが簡単には引きそうもない。
今夜も眠れぬ夜になりそうだが、せっせと痛み止めを飲み張り薬に頼るしかない。
どうしてもの時は通院すれば痛みブロックの注射を打ってくれるそうだが、今はなんとか我慢出来そうだ。

以前から疲れた時に腰や右足の痛みを感じていたが、この際それも原因が明確になろう、内科だけでなく外科との付き合いも必要になって来たと言う事か。

「先は分からない」と言っても「齢の所為」だとは思い知る此の頃かな。涙

2017年3月25日土曜日

桜ちらほら

今朝は北風が吹いていて、通勤の自転車のハンドルを持つ手が冷たく、手袋が欲しい程だった。
晴れても風が止むまでは寒く、正午近くなって漸く暖かくなった。
花冷えと謂うが、それどころではない、衣服は既に春モードにしているので、急な冷えは困る。

それでも午後は、隣庭の桜もちらほら咲いて春らしい麗らかさになったので、陽の光を感じながら気分も明るくなった。

ところで、此の頃腰の右側から右脚にかけて痺れる様な痛みがある。
原因か判らない儘もう半月を越えるが、齢をとってこのような事が多くなった、或る日ある時から体の何処かが、筋肉か神経か何方ともなく痛み出す。

一晩で消える事もあるし、数日掛かる事も有るし、今回の様に仲々治らない事も有る。
神経筋肉の老化や運動不足が招くと言えるが、症状は色々で一概に言えない。
腰痛も時に出易くなったが比較的早く消える、膝の痛みも偶のものだが長くは無い、筋肉が方々つる事が多くなったが、暫く静かにしていれば大抵治まる。

今回のように長くなると何等かの病を疑うが、神経科に診てもらうのはもう少し待とう、明日からシフトが4連休になるので、安静にして様子を見るつもりだ、多分此の連休で治まるだろうと期待している。

歳を取ると何かと大変だわい。笑

最近画像の添付が少ないので、今月の画像を3枚ほど紹介。

豪徳寺「おおむら」のラーメン、何と言う事の無いラーメンだが400円の価格が特筆
満月の前日3月9日の夕方、好い月が出ていた
雲が多いが晴れた今日の空、今はもっと日が射しているが
来週は四月となる、今年の月日も速いものだ!



2017年3月18日土曜日

彼岸から

昨日17日が彼岸の入りで、漸く寒さともお別れ出来そうだ、途端に今日は19℃になると言うから嬉しい限りだ。

今朝は4時前に目が覚めてからその後眠れず、休みにも拘らず7時には蒲団から起き上がる。
三連チャンの仕事の後で、明日は出勤でもあるし、たっぷり眠りたかったのだが、何気に超早起きに成ってしまった。

寝不足感は殆どないが、多分部屋に居ると昼寝したくなるだろう。
それ故なるべく早く外に出ようと思う。

暖かくなったのだから、出来るだけ体を動かして、精々体力を回復し、筋肉を増やさなければならないのだ。
だぶついた体を少しでも引き締めねばならない。笑

来月から職場での立場も一層厳しくなる、うかうかしてられないのだ。
不本意ながら何時の間にか今の職場の年長組に成り(年齢はメンバー皆年長なのだが)、ずぼらな自分が否が応でも責任を感じなければならなくなった。

楽な仕事の職場でも人をまとめるのは面倒だ、年寄りばかりで自分も含めて我が儘が強いし、新人が入っても素直に仕事を覚えるとは限らない、順番だから最早腹を括るしかないと思っているのだが、、。

春は色々変化があるものだ、陽気の変化と共に自然も人も動きが激しくなるようだ、暖かい春がやって来たのだから。

2017年3月11日土曜日

三月十一日

夕空に好い月が出ていたが、明日は満月だ。
東北の東海岸沿いにも好い月は出ているだろうか?!

今日は東日本大震災から6年目、TVはどのチャンネルも特別番組であの震災を振り返り、復興の状況を放送している。
誰しも忘れを知らないあの大地震、三陸沖から2分遅れで東京にも揺れが来たが、此れまで経験した事の無い程の揺れで、豪い慌てたのを覚えている。

早や6年が過ぎ人々の関心も徐々に薄らいでゆくのは否めないが、現地の復興はまだまだ年月が掛かるようだ。
其れだけ大きな地震だった、未だに余震が続いているくらいなのだ。

それだけに被災者の心の傷は癒えがたい、必死で前向きに頑張っているだけに、見てゝ辛いものがあるが、兎に角無理せず希望を持って生きて行く事を祈るばかりだ。
「災難は忘れた頃にやって来る」自分等も油断せず共にしっかり生きて行かねばと思う。

仲々被災地に行く機会が出来ないが、今年こそは何とかしようと思っている。
実際となると現地の交通や宿泊事情に疎く、無理が出来ない年齢もあって延び延びとなっているが、今更でもきっと出掛けようと思う。

宵の月 東の海を 照らさんか

2017年3月2日木曜日

三月妄想

今年も早三月となったが、昨日今日と寒々とした気温で、春も一時停止の様子だ。
それでも隣の梅は只今満開で、連日ヒヨドリやメジロ等が訪れる。
今日はこれから雨模様だが、明日は晴れて暖かくなると言うから、最早 Spring has come!の季節、誰しも嬉しい時季だろう。

鳥の囀りと若芽の息吹に、冬を越え春を無事迎えた安堵が全身を満たす。
齢の所為だと思うが、「あと何年春を迎えるのか・・!」と、しかも元気で、等とつい想ってしまう。
老いて無常を知るのは普通で悪い事ではないが、臆病になるのは残念な事だ、出来るだけ前向きに生きなければいけないと思う。

議会演説を終えたアメリカのトランプ大統領の支持率が80%に跳ね上がった、先だっては40%位と言われていただけに倍増は驚きだ。
マスメディアの評価に拘わらず、国民は自身が直接情報を得て反応する時代に成っている。

衆愚政治と言う人もいるが、民主主義と大衆迎合は元より表裏一体で、隣のくまさんから表の社長さん裏の教授まで、平等に夫々の一票で物事を決めるのだから、人気投票となるのもしょうがない。
夫々の意見を出してから多数決で決める、独裁でない限りこれしかない。

それにしても今の世界情勢はとても予想出来ない展開に成っている、それだけに其れから目を離せない。

此れまでの自分達は何と平和な時代に生きていたのかと、今更になって感心するが、其れはあくまでも戦後の日本に生きたからである。
全世界が平和であったわけではない、今でも中東を始め方々で戦火は在る。

今後の日本が何もせずに平和が維持される保証はない。