半強制的に安静の日々となって十日になろうとしている。
痛みが安らぎ、腰を固定して専ら安静に過ごしていると、日頃気付かない思いに駆られる。
春に腰椎ヘルニアで同じく一月余り仕事を休んだ時は、仕事や収入、反省とリハビリ等、極めて現実的な事ばかり考えていた。
痛みさえなくなれば直ぐ良くなると謂う思いと、大して時間が掛からないから久し振りの休憩だと思い、医者の意見もあってなるべく体を動かすようにしていた所為だ。
己自身を振り返るまで至らなかった。
精々昨今の生活習慣を見直し、専ら身体の再点検を意識するばかりであった。
今回は何故か違う、初めて骨折などした所為か、数か月掛かると言われ、固定して腰に負荷を掛けない生活をする中に、活動に制約がある分、想いばかりがゆったりした時間の経過に浮かんでくる。
じっとして読むか聴くか観るかしてるだけなので、飽きると目を閉じて眠るか物思いに耽るしかない。
その内この年頃だから、これまでの人生を振り返り、これからの人生を想う様に成って来た。
此の処生活が安定してきた、家族との付き合いも普段の事、趣味や嗜好に毎日思いを馳せながら、当たり前に過していたが。
果たして何時の間にか、長くも無い己が人生を想う事が無くなっていた。
其れでも構わないのであるが、今改めて数か月の猶予が突然与えられ、只管身体は安静にして自由なのは意識だけとなると、日常の生活を想うのは数日でネタ切れとなり、非日常の想いに入って行く。
「此れでよいのか?」、「此の儘でよいのか?」、「これから如何に往くべきか?」、何か忘れていないか、此れからでもやるべきことが有るのではないか、何かできないか、つれづれに想う此の処である。
0 件のコメント:
コメントを投稿