2014年2月6日木曜日

佐村河内騒動

河内山宗俊ではないが、佐村河内守氏の事は大騒動になって来たようだ。
実作者がマスコミに登場し、これが実力ある業界周知の作曲家であったから世間は驚き持て囃す。
オリンピックしかネタの無かったメディアにとっては、格好の話題になりそうなニュース素材となったから、今後暫らくは四の五のと続くことだろう。

新垣隆氏が新たな登場人物、桐朋音大で作曲の講師もする現代作曲家兼ピアノ演奏家そして指揮者。(結果的に自らの曲の指揮をして既に公開されている)
音楽に関しては才能有る人の様だが人生の才能はそれ程ではない様だ。

仕事を終えた午後は暇だったので、記者会見(大げさなものだった)の実況をずっと見ていたが、大勢の記者の矢継ぎ早の質問に不慣れな彼で、思わず同情してしまった。
売れない作曲家の若者が、頼まれ仕事で作曲して対価を得続けていた、ゴーストライターとして佐村河内氏の片棒を担いだ格好になり、非難され謝罪するばかり。

長ずるに及んでもう止めたいと思うも、佐村河内氏の事情はそれを許さない、これだけ有名になってしまうと今更止められなかったのだろう、結局は双方告白して謝罪するしかなくなってしまった訳だ。
新垣氏は譲渡した作品の著作権は求めないと言う、彼はアルバイト気分で才能により作曲した作品を売っていたのだとすれば、そうだろうしアルバイト収入以上のものを求めていない。

ここで嘗て親友のK君の学生時代を思い出す、彼は当時難関のT芸術大学音楽学部に受かり作曲家を目指していた、自分と同じく貧乏学生で様々なアルバイトをしながらの生活だった。
彼の場合、その道の先生に個人指導も受けなくてはならないので自分等より余計に大変で、それは卒業してからも続いた。

時に編曲や小品の依頼があったとしてもアルバイト仕事で下請けの仕事、僅かな謝礼で終わるだけ。
笑い話になるが、友人の紹介で舞い込んだ国政選挙の某代議士の応援歌作成の仕事を、自分が作詞彼が作曲して創り、見事僅差で当選して地方地元の温泉旅行に招待され、芸者を上げて豪遊した位が関の山だった。

注:某代議士はこの一期だけでその後落選、よって当選の僅差は我々の選挙の歌効果だったと今も自負している!?

話が逸れたが元に戻して、新垣氏といえども世に出るまでには、それなりの苦労があったと思われる、注文があれば選挙の歌どころか交響曲だって作っておかしくない。
クラシックの世界で生きて行くのは厳しい作曲家は特に厳しい、佐村河内氏の注文は一時は渡りに船だったかもしれない。

新垣氏が今あるのは、佐村河内氏の持ってくる仕事のお蔭の一面もあるかも知れない、自分達の様な若い時代の戯れ事で済めば今回の様な事にならないが、余りにも評判を取り有名になり過ぎてしまった故に大騒動になった。

新垣隆氏の才能を自分は惜しむ、何とかこの騒動を超えて改めて自らの名で良い作品を作って欲しい、曰くつきとなったが交響曲「HIROSHIMA」は、彼をそして佐村河内と言う人を思い出しながらも今後も聴き続けるつもりだ。

個人的には佐村河内氏に対して怒り等浮かばない、彼無くして「HIROSHIMA」はなかったのだから、むしろこれ程の大騒動を起こした張本人として呆れて観るばかり、大笑いしたくなる。
大好きな村上武吉の瀬戸内水軍の流れ(これも検証を要するかも)を汲むとしたら、痛快でしかないわい。

ただ彼を信じていた身障の子や被災の少女への罪は大きいことだけは確かに言っておく。

それにしても此の件はまだ続きそうだが、自分もメディアの喧騒と似た者か知らん。

0 件のコメント:

コメントを投稿